突撃取材 タケシ ON THE WEB

 

 

私の名前はタケシ。

 

先日、光栄にも飯能が誇る日本のアニメーション美術界の立役者、山本二三先生と対談をする機会にめぐまれた。今号のうぇぶなーらでは、はんなーらで書ききれなかったことを色々とお話しさせていただく。

 

タケシ  先生は飯能での事務所ではどのくらいの枚数の作品を制作されたのでしょうか?

 

二三先生 ここ三年位ですと100枚くらい書きましたね、デジタル絵本やゲームのキービジュアル。あとは行政に頼まれた仕事ですと京都ですとか長崎のグラバー園など書きました。今は産業文化遺産になっちゃって人がおおくて大変ですよ(笑)

 

タケシ  先生の代名詞といえば何といっても背景の雲だと思います。

     これらの雲が完成するまで、どのくらいの歳月を費やされたのですか?

 

二三先生 まず、見本の雲を写真に撮ってくるわけなんですけれど、ポスターに使われるようなきれいな雲なんてほとんどないんですよ。ですので雲を自然な形に直せるようにならなければならないんです、これが一年位かかりますよね。ひたすら500枚くらい、それはもう泣きながら書き続けるような感じですよ。

 

タケシ  まさに修行といったところですか。

 

二三先生 私の場合はですね、宮崎駿さんの作品で『未来少年コナン』というのがありまして・・・

 

タケシ  おおっ懐かしいっ!!

 

二三先生 ええ、その時23歳だったのですが、監督から白く輝く雲を描いてくれとの依頼がありましてね、その時はそりゃあもういろいろと研究しました。エアーブラシ使いすぎて美術室で一緒に作業している人なんかは数メートル離れているのにみんな防塵マスクしてたくらいですよ。ちなみに防塵マスクにサメの歯書いて遊んでたんですけれど、あれは僕が走りですね(笑)

 

タケシ  なるほど(笑)そこから先生の代名詞『二三雲』が誕生したという事なのですね。

 

二三先生 その名前が使われるようになったのは『天空の城 ラピュタ』からだったからなんですが、もともとはそんな名前なかったんですよ。あれははじめファンの間で『ラピュタ雲』と呼ばれていたんです。私はあの時、空を飛ぶシーンの担当だったんですが、当時、宮崎駿さんに夜の積乱雲を描いてくれ、といわれましてね。私は、夜には積乱雲は出ないですよって監督に言ったんですけれども、監督からはアニメだからいいんだ、なんて事いわれまして、何とか研究して書ききったわけですよ。そしたらそれを見た細田守監督が『二三雲』なんて言い出したんですよね。トークショーなどでは『昆虫みたいで嫌なんですけど』なんてこと言うと結構ウケてくれます(笑)


タケシ  先生は全国で個展を開催されておられますよね。つい先日も静岡で個展を開催されていらっしゃると思いますが、

ズバリ、ここ飯能での開催のご予定などありますでしょうか?


二三先生 いやー、静岡は入りましたねえ(笑)


タケシ  大盛況だったと聞いております。


二三先生 個展ではその地域の風景をその場で書くデモンステレーションを行なっているんです。大体40分くらいで書けるところまで書くんですが、上に塗りが入らない状態だったするので、逆に面白かったりするんですよね。また、書く途中途中の技術を勉強しに美大生が見に来るなんてこともありますよ。


タケシ それは、すごいですね。是非実際に見てみたいものです!


二三先生 実は、5から6年前くらいに飯能で展示会はしているんですよ。今は無いんですが商工会議所の近くに小さなギャラリーがありまして、一週間くらいでしたかね展示会はやったことがあるんです。あとは展示だけという事であれば、三月の復興支援祭で「日替わりシェフの店」で展示はしました。ただ飯能で活動をしているわけではないので飯能で個展を開く事は余りないんですよね。ご近所の方々であったり非常に優しく良くしていただいているので何かしらで恩返しはしたいものなんですが・・

一般的には芸術家の方であったり作業をしている場所が公にわかってしまうと迷惑と考える方が大半でしょうからあまり大っぴらに作業場などを公開しない方が多いでしょうね。いろいろと顔が割れてしまうと知り合いからキャラクターデザインしてくれないかであるとか、ロゴを作ってくれないかであるとか、知り合いだと断るに断れなくなっちゃいますから。お金も中々取れないですし(笑)

 

タケシ  確かに(笑)そうなってしまうとお付き合いもいろいろと大変ですよね。

     ですが、是非先生の書く絵をリアルタイムで見てみたいものです!!   

     最後に希望の木をするにあたって経緯などお聞かせいただけますでしょうか?

二三先生 東日本大震災の当日の日、私は青梅の工房にいました。震災のことはTVのニュースで見ましてね、友人たちは炊き出しや現地へ行くなどで支援しているのに私は何もできない。そのもどかしさから、何か絵で役に立てないかと思い作家の新井満さんにお手紙を書き絵本を制作することになったんです。陸前高田市にはですね、海辺のほうに陸前高田松原っていう江戸時代初期のころからあったんでしょうか、津波などを防ぐための7万本の松が植えられていたんです。震災の際、町に津波が行かないようずっと耐えていたんですが、残念ながら一本を残してすべて流されてしまったんです。その残った松というのは非常に女性的な松でしてね、決して男性的な力強くがっしりとした松ではないんですよ。その松がなぜ一本残ったのかということで原作者の新井満さんがこの一本松を擬人化してドラマを作ったんです。テーマとしては江戸時代から続く命のバトンリレーです。死にたいほど苦しい思いをした擬人化された松の少女が若い子供が生まれることで「また生きていこう」と思うのお話なのですが、恐らくそのような被災者の方が10万人位いたと思うんです。私、原作をみて非常に感動いたしましてね、何とかして世に出さなきゃいけないと思い制作しました。

タケシ  制作期間はどのくらいで・・?

 

二三先生 そうですね、一か月くらいでしょうか

 

タケシ  一か月ですか!?

 

二三先生 何というか、鎮魂として書くというんですかね、亡くなった人の事や思いを考えるとパワーを貰えるような気がするんですよ。土日休み関係なく夢中になって書きましたね、そして、今まで書いてきた絵と違ったすごい絵が生まれるんです。

 

タケシ  是非実物を見てみたいものですね、

     先生、本日は本当にありがとうございました。


 

 

 

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